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シンギュラリティは邪神覚醒みたいなもの

 ラヴクラフトの『クトゥルフの呼び声』の冒頭はこう始まっている。

 「思うに神がわれわれに与えた最大の恩寵は、物の関連性に思い当たる能力を、われわれ人類の心から取り除いたことであろう、人類は無限に広がる暗黒の海に浮かぶ、《無知》の孤島に生きている。いうなれば、無明の海を乗り切って、彼岸にたどり着く道を閉ざされているのだ。諸科学はそれぞれの目的に向かって努力し、その成果が人類を傷つけるケースは、少なくともこれまでのところ多くなかった。だが、いつの日か、方面を異にしたこれらの知識が総合されて、真実の怖ろしい様相が明瞭になるときがくる。そのときこそ、われわれ人類は自己のおかれた戦慄すべき位置を知り、狂気に陥るのでなければ、死を秘めた光の世界から新しく始まる闇の世界へ逃避し、かりそめの平安を希うことにならざるをえないはずだ。」(宇野利泰訳、創元社)

 知人に「シンギュラリティが到来したら、人間をはるかに超えた超知性が地上を闊歩し、今の人間にはまるで別の星としか思えないほど、世界中が様変わりする。」とかいってみたら、「それは狂気の世界じゃね?」とか言われてしまった・・・。そのとおり、狂気の世界だ。もしも、カーツワイルの展望のとおりにテクノロジーが進展するならば、来世紀を迎える前に、人間は人間としての形態を失ってしまい、地上には不定形の超知性体が徘徊するようになるだろう(昆虫人類じゃないよ)。この怖ろしい未来展望を受け入れやすく話すには何を例に挙げるといいだろうと思っていたら、ふとピッタリの比喩を見つけた。

 『沙耶の唄』だ!

 『沙耶の唄』はいろんな状態のメタファーとしての親和性をもっていて、オタク・ニートの境遇の比喩だといわれれば全くそのとおりであるし、時代の先端を生きている人々の境遇の寓話だといわれれば、まさにそのとおりだ。この世の様々なもの自然・芸術・智慧などを女性に喩える(ステレオタイプな)慣わしはがあるけれど、シンギュラリティ・技術的特異点をその不気味さと、希望を象徴的にあらわすならば、『沙耶の唄』はまさにうってつけだ。

 主人公の「病」は、アナトミー(解剖学)の病というべきか、そうしたものの直喩だ。フロイト以来精神分析には「悪魔の代弁人」を自称してみる文化がある。それは、常に穿った見方をとらざるをえない分析家の自虐的な表現で、人間のはらわたを透視する苦しい仕事ゆえのブラック・ユーモアだった。同様に超情報化社会で、莫大な情報に絶えず被爆し続ける現代人は、自ずから人間のレントゲン写真の中を生きざるをえない。人間の良心の出で来る心のはらわたを直視し続けざるをえない解剖学者(アナリスト)の狂気の世界に迷い込んでしまった人間の物語を『沙耶の唄』の物語に読み取ることが出来る。人間の人生としては不可能なほどキツイ。

 その慰撫のための存在が、美少女キャラであったり、沙耶であったりするのだけれど、それはアナトミックな世界の住人でなければ、しばしば不気味で、気色悪く、モンスターに見える。モンスターはもともと、予兆を意味する言葉を語源とする。怪物が出現するのは「何か」の予兆と考えられたからだ。大塚英志は、平和続きの戦後民主主義の象徴として作品に「麒麟」を美少女キャラとして登場させたけれど、沙耶はもっと不定形で有機的な超知性的時代の予兆として現れたように思われる。沙耶は「ふたりのまぶしい世界」をもたらす「モンスター」として現れる。

 思うに、沙耶のような「モンスター」が散種して、増殖していった先にシンギュラリティがあると思う。シンギュラリタリアンにとって、それは人工知能であったり、ナノテクであったり、コンピューティングテクノロジーであったり、バイオテクノロジーそのものだけれども、「ポストヒューマン」の時代に至るための可能性の種は既に無数にある(そういや村上隆がオタクは異形のポスト・ヒューマンだって褒めてた)。

 最近シンギュラリティの「予兆」として感じられるのは、音声合成ソフトの『初音ミク』だ。日本でシンギュラリティの予兆は萌えキャラとして出現するだろうというのが、私の持論で、デスクトップ・エージェント「伺か」もその斥候のように思われたものだ。今回の『初音ミク』のヒットは結構長続きして次の何かにつなぎ、いずれはデスクトップ・エージェントやOS、サーチ・エンジン、人工知能やロボットと融合して、シンギュラリティに続いていくのだろう。個々バラバラの技術はそれだけでは未来を大きく変えずとも、全体としてはとてつもない変化を人類全体に与えていく。丁度、冒頭に引いた邪神復活の予兆のように。(しかし、誰か初音ミクに『沙耶の唄』歌わせてくれないかな・・・。)

 そして、2010年代後半には、『電脳メガネ』のメガネのようなミクスド・リアリティ技術を用いたスムーズなエージェント技術が発展し、方々で自分にしか見えない美少女・美少年にむかって語りかける人々を眼にするようになるのだろう。また、某街で眼にするように、独自の美的センスを持った人々が増加し、スムーズに動く着ぐるみなどを纏った百鬼夜行を眼にし、旧世代は傍からそれをみて痛い人だなぁとか思うのだろうか?こうして、邪神たちは、驚愕すべき方法で私たちを狂気の世界に引き込んでいくのだ。

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コモディティの訳語について

 よく言われることですが、「コモディティ」の訳語として、「日用品」はニュアンスを若干外しているのではないか?という小さいけれど重要な問題がありますが、「コモディティ」を「普通品」と訳してはどうでしょうか?「コモディティ」のニュアンスをうまく伝えられると思うのですがどうでしょう。

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