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利己主義のエコロジー・利他主義のエコロジー

今度こそ短くせねば。エコロジカルということと、低(二酸化)炭素的ということは必ずしも一致しません。前回も書きましたように、エコロジカルとは生態=環境学(システム)的(合理性)ということです。この合理性は、人類の持続可能性にとって欠くことのできない叡智です。この合理性は、物理的セキュリティを確保するためには確実に必要です。しかし、精神、心理的には必ずしもそうではありません。そこを意識しないと、環境を口実にし、道義を盾にする社会的抑圧と向き合うことが出来なくなります。

また、エコロジーにも道義のために、地球環境を守らなくてはならないという考え方と、生存環境を保持するために環境を保護しなければならないという考え方の二つがあります。これは、環境の保全という目的を共有するように見えながら、全く目的が違っています。

前者には、必ずしも目標必達的な観点がそなわっていません。出来るかぎりの努力をすることが目的だからです。しかし、最終目標としては人間のための環境を目指すのではなく、「生態系の調和」を目指すので環境に対する認識観察を大きく拡大するポテンシャルを持っています。

後者は、生態系を現在および過去の「理想的」状態に回復しようというモチベーションを持ちません。それゆえ、環境を保持するという観念の中に、特定種の保存や景観の維持、特定の産業・文化の保全という目的は含まれません。しかし、人類のセキュリティの保全という観点から、環境保全を志向するので、目標必達を重視し、努力による言い訳を認めないという確実性を持ちます。でも、複雑系の持つ緻密で予測不可能な諸機能に対する配慮が欠けがちなので、思わぬところで足をすくわれる可能性を残しています。

バイオエタノール産業の振興のプロセスにはこの両者のまずい組み合わせがあったのだと思います。バイオエタノールのまずさは、第一に普及時期にあります。なぜ今なんだと。もう少し早ければ、森林破壊による温暖化加速への効果は薄く、かつ、もっとはやく環境効果がマイナスでしかないことが、分っていたことでしょう。それに、原油高と連動して物価高をダイレクトに刺激する力は持ちえなかったはずです。もう少し遅ければ、電気自動車の普及でバイオ燃料の需要はここまで膨張しなかったでしょう。

そして、このインフラの拡大によってこれからバイオエタノールによる環境破壊の二つめの局面が引き起こされることでしょう。バイオエタノールは食料と競合するから問題なのだという理由によって、非食料由来のバイオエタノールの生産が始まるでしょう。そして、将来は食料需要とバッティングしなくなり、リサイクル原料から造られるようになり、真にクリーンなエネルギー源になるでしょう―――と説明されることでしょう。しかし、それは一体何時の話になるのですか?と聞きたいものです。

大手のバイオテクノロジー企業は、非食料由来バイオエタノールの普及開始時期(普及期ではない)を、2010年以後とみています。そして、コストパフォーマンスが食料由来エタノールを追い越す時期に関して目処を立てている企業は寡聞にして知りません。それに、コストパフォーマンスは関税がなされないかぎりは、工程の煩雑さから決して食料由来エタノールを上回ることはありません。とすれば、バイオエタノール市場は少なくともあと数年は確実に食料との競合が続き、その後十年近く先端バイオ企業による全体の中での少ない(プレミア価格のついた)非食料バイオ燃料生産寡占が続き、ほとんどのエタノールが食料由来のままという、状態が事実上放置されることでしょう。そして、この間農家の転作は一貫して継続するでしょう。

そして、バイオ原料が高く売れるということは、アマゾンなどの開墾に投入する資金が増えるということです。事実、バイオ燃料のための開墾が農作物向けの開墾速度を遥かに上回る速度で進展しています。

バイオエタノールがクリーンとされる理由は、消費にともなって排出される二酸化炭素が、エタノール農作物によって、吸収されるので差し引きゼロであるという仮説に基づいています。しかし、ジャングルのような鬱蒼たる湿地の中の密林と、すの空いた乾燥した農地とでは明らかに二酸化炭素の吸収力に開きがあります。バイオ燃料農地が密林に増えるほどに、地球の持つ二酸化炭素を土壌に吸収する力はダウンしていくのです。したがって、バイオエタノールには二酸化炭素を削減する効果は全くないどころか、増加する効果があるのです。

また、非食料エタノールの代表とされる木質バイオエタノールは、日本では間伐材を使ったり、建築廃材を使うのでエコです、で説明が終わりますが、価格からすればエタノール需要が確保されれば国産の間伐材や、建築廃材の価格が上がり、最終的に最も安い木材、貨幣価値と賃金の低い温帯地域の木材に依存することになりますから、遅かれ早かれ貨幣価値格差をなくさないかぎり環境破壊効果を招くことにしかなりません。しかも、その間一番消費されるのは安く生産できる食料由来の二酸化炭素吸収力削減効果を持ったエタノールなのです。

エタノール転作に飛びつくのは広い土地を有するという競争優位性を持つ国々です。安く大量の農作物を販売していた国々ほど、より大規模な転作を行っていくでしょう。しかし、原油高も、エタノール原料高もシリコンバレーが軒並み舵を切った太陽光発電の普及、自動車産業の脱ガソリン・入電池化の流れをうけて、一気にエタノール敬遠に傾いていくでしょう。そのトレンドは今後10年は続くでしょう。すると、エタノール依存度の高い国々は、悲惨な不況を迎えることになるでしょう。そうした人災を防ぐためにも、いまからエタノールインフラに投資になるようなことはしない、国際的にバイオエタノールの輸出入に関税および禁止などの制限を今すぐ行うか、早いうちに出来なければ手遅れですからケアを行うかする必要があります。サミットでの取りまとめのように、「非食料由来のバイオエタノールの生産技術開発を急ぐ」などという方針は環境破壊・国際社会破壊を激化させることにしかならないでしょう。

そしてもうひとつ、燃料電池の普及です。電気自動車関連の批評の間で、効率が悪い、無意味とすこぶる評判の悪い燃料電池ですが、環境という観点からすると物凄く大きな危険を孕んでいる気がします。

というのは、「水素社会の構築」とか言うスローガンの背後にはつまり、「大酸素排出社会の成立」という巨大リスクが控えているからです。

しばしば、燃料電池車は水しか排出しないと宣伝されますが、燃料電池車とは水素を酸素と結合させる時に出る電気を使う電気自動車です。それは、事前のプロセスとして電気で水素と酸素を分離して水素だけを貯蔵するというプロセスがあるわけです。そして、走行中に方々から酸素を奪って発電して水に戻す、だから差し引きゼロ、酸素は増えないだろうから考慮する必要がないと考えられているのでしょう。

しかし、それは大間違いです。排出された酸素は大気の飽和可能水準まで、その場で化学的に消費されます。そして、自然界の酸素吸収キャパシティを圧迫していきます。いったん水素インフラが大規模に構築されれば、水素に関する取引市場が世界規模で成立し、世界中での水素貯蔵が始まるでしょう。水素貯蔵量=使用した水量-酸素放出量です。水素のストックが増えるほど、比例して地球の大気・海水中に回される酸素量は増大します。

すると、こういう不均衡が起こります。燃料電池車の多い地域では土壌・河川・海洋のアルカリ化、大気の酸素量がわずかに下がるという変化。逆に水素を大量生産する地域では、土壌・河川・海洋の激しい酸性化、ならびに大気の酸素量の増大、それに伴う都市部火災、山火事の激増です。

事態はきっと(もし水素インフラが世界中に拡大するとして)、かなり水素依存が進展するまで見えないことでしょう。水素生産国なども、当初は若干の土壌酸性化の気配があるだけで、山火事なども増加したりはしないからです。ところが、地球全体の大気の酸素吸収能力をつかさどるメタンガスの吸収力の限界が近づくと、急に世界規模で山火事が頻発し、同時に地球気温が低下を始めます。

ラブロックによると、過去の氷河期などは大気中の酸素増大に伴う、強力な温暖化効果を持つメタンガスの減少、山火事の煙による太陽からの赤外線反射などが原因のひとつとして挙げられていますから、今度は温暖化ではなく寒冷化が新たな人類の危機となることでしょう。

短期的には、これはありがたいことかもしれません。しかし、長期的には極めて(人類的には)拙いことになるでしょう。したがって、この場合、セキュリティとしての環境を重視する人々が温暖化の解決策として速やかに水素社会構築に動き、道義中心的人々が結果を考えず水素社会化を推進した結果、後戻りできないような水素依存社会が出来上がってしまい地球を暖めるメタンガス発生量が数万年に渡り押さえ込まれるような、大規模な寒冷化が急速にもたらされる可能性もあるかもしれません。

また、環境問題=温暖化と限定してしまうと、海洋の急速かつ極めて危険な酸性化と富栄養化、海洋富栄養化による激しい大気汚染とそれによる、直接・間接地球寒冷化などの問題もまた、忘れ去られてしまうかもしれません。そして、現在のように地球の太陽・宇宙との熱的収支だけでなく電気的収支・質量的収支にもいずれは関心が必要になるのかもしれません。また、同様の人間と地球の関係変化は、わずかであっても太陽光発電によってももたらされるでしょう。なにせ、50年ばかりとはいえ、これまで人類が自然界に供給し続けてきた二酸化炭素は膨大ですから、それに合わせて生態系を適応させてきた生物種も多いはずです。

いずれにしても、エコロジカルであるためには、環境のメカニズムの洞察に真剣に取り組むこと、理解すること、そして環境の環境としての人類社会の経済合理的性質への洞察、自分と異なるエコロジカルな目的を持った人々がいるとはっきり理解して問題に取り組むことが必要なのです。そして、結局短くならない。

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