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倹約はエコじゃない

しばらく放置状態でしたが、我慢できなくなってきたので一言。

倹約はエコではありません。

最近電気の節約や、二酸化炭素の家庭からの排出を節減することが、不気味なくらいにTVなどで賞賛喧伝されていますが、それはエコではありません。はっきりいって。

エコロジカルというのは生態=環境学的ということです。つまり環境に対する正当な知識や思考に基づき、環境とシステム(特に人間と)の影響関係について最適な行動を目指すことが、エコ(ロジカルな合理性)ということです。エコという言葉からはロジカル(論理的)という最も重要な観点が抜け落ちています。

単に、家庭での電気消費のムダを減らしたり、ガソリン車のアイドリングを止めたりというのは、エコノミー、倹約です。それは、結局我慢して行動を無理に抑制している状態で、様々なことにたいして、人をいっぱいいっぱいにします。そして、その二酸化炭素等の削減効果については、悔しいことに日本全体としては、削減効果を上げていません。

それはなぜかと考えると、養老孟司氏も指摘するようにエネルギー源の問題だからです。いままでどおりの二酸化炭素を排出する火力発電、ガソリンエンジンで得られたエネルギーの範囲内で生活を続ける限り、環境の異常を止めるのに必要な削減効果を達成するのは、絶対に不可能です。エコロジカルであるためには、エネルギー源を切り替えるためには何をすべきかということを深く考え、コミットする必要があります。端的にいえば、エネルギー源を切り替えなければ、懸命の倹約もほとんど無駄になってしまうということです。倹約によって電力使用量が削減されても、国内の電力需要が緩和され節電の重要性が下がり、より大量の電力を必要とする人が電気をより容易に利用できるようになるだけだからです。

それが分っていても、私たちは倹約をやめないでしょう。それは、物価が上昇しているからです。私は、最近のエコをめぐる動きには、物価高から強いられた倹約・エコノミー生活を環境・エコロジー生活とすり替え容認させようという政治的な(特に世代間の)意図を感じずには居れません。最近の厳しい倹約生活は、これは、環境のためなんだと信じなければ到底やっていられないような厳しいものがあります。しかし、倹約と環境の安全を分けて対処しなければ、物価高の問題も環境の問題も虻蜂取らずになることでしょう。

エネルギー源の切り替えについて日本のエネルギーの安全保障という観点から見て、同様に二つのメリットがあります。ひとつは安定的エネルギー源の確保の観点からして、原油依存からの脱却という世界政治的重大なメリット、もうひとつは二十年ほどのタイムスパンで見て、エネルギー価格のかなり大きな安定的価格引下げ効果が見込めるというメリットです。

この二つは、実のところ密接な関連性を持ちます。世界各国の原油依存の解消が可能ならば、現状の需要の落ち込みの可能性のなさを担保にした先物市場を中心とした原油価格の高騰は、即時に解消可能です。なぜなら、原油が今後も値上がりするという確証なしに原油先物市場にいかなるファンドも投資を過剰投入し続けることは不可能だからです。したがって、昨今の原油・エタノールのエネルギー市場高騰の波及をうけた物価高騰は、エネルギー源切り替えの目処が立った時点から解消されていくことでしょう。問題は、目処のほうなわけです。

そのまえに、二つ。バイオエタノールと地球温暖化について。バイオエタノールの利用は推し進められるべきではありません。そのうち詳しく述べるかもしれませんが、非食料由来のバイオエタノールの利用にも問題があります。まず、コストパフォーマンスで、食料由来エタノールを上回る見通しが今のところないことから、非食料エタノールを利用するインフラで、今後も継続的に食料由来エタノールが消費されていくことでしょう。そのため、石油市場が潰れてもこの市場価格が世界的物価上昇を継続させていくことでしょう。なおかつ、非食料エタノールに切り替えが進んでも、ブラジルの焼畑で生産物が切り替わるだけで、世界最大の二酸化炭素吸収地のアマゾンの湿地が乾燥化することは避けられないでしょう。

次に地球温暖化。私は温暖化は事実だと考えています。しかし、もしそうでなかったとしても、(地球)環境と人類の間の収支関係は全世界的になんらかの形で調整するシステム設計が必要だと思います。それは、地球寒冷化が進行しているという立場の人でも同意できることだと思います。ただ、それが何らかの新たな政治的なシステム立ち上げ(排出権取引市場など)を要するかどうかはまだ分りません。

もどって、エネルギー源の切り替え目処の問題ですが、すでにドイツをはじめとしてヨーロッパではかなりの目処が立ちつつあるようです。ドイツではエネルギー源の切り替えの進行で、日本のCO²      排出量がここ数年で上昇しているのとは対照的に、一割以上も削減されており倹約と異なり実効性があるのです。しかしこの変革を達成するには、大きな社会的関心を要する課題が横たわっています。

最近、経産省の新エネルギー部会から「総合資源エネルギー調査会新エネルギー部会 中間とりまとめ(緊急提言)案」という文書が公示されました。今後のエネルギー政策に関する基本方針に関する一般国民への意見公募ですが、ほとんどの人が存在すら知りません。もし、これに対するパブリックコメントがなければ、お役所では「反対意見もなく大方の人が賛成している」という風に取りまとめてお墨付きを得る手はずになっています。

この文書の内容がはらむ問題に関しては飯田哲也氏のコラムを読んでもらったほうが有益かつ簡便ですが、ここでの話との関連で取り上げると、つまり「太陽電池などに補助金をだすので、電力料金引き上げます、今後もRPS法を宜しく。」という内容になっていることがポイントです。

RPS法についてはウィキペディアを参照のこと。非常によく書けていると思います(主要執筆者に感謝)。ウィキにもありますが、これとは異なる制度設計にドイツなどに始まるFIT制があります。この二つの政策は風力発電、太陽光発電、小水力発電などの導入の促進を目的として勘案されたものですが、両者には著しい違いが見られます。日本よりも先にこれらの制度はヨーロッパで施行され、結果として日本で施行されているRPS法は効果がほとんど見られず、FIT制が施行された国々では指数関数的な効果が現われることが確認されています。この二つの根本的な違いは、何を市場プロセスに委ね、何を法的にコントロールするかという点にあります。

RPS法は電力会社に対し電気の買取量を定めるのに対し、FIT制は自然エネルギーの価格を一定にする代わりに、市場に供給された全自然エネルギーを電力会社に購入させるという制度です。RPS法は、一見して直接自然エネルギーの導入を拡大でき、自然エネルギー発電に市場プロセスを導入できるように見えます。しかし、その実、旧来の電力会社は義務付けられた買い取り枠を守っているだけで、新規自然エネルギー事業者の数や発電量がいくら増えても、買い取り義務は生じず、新規事業者は買い取ってもらえない電気を買い叩かれ、その結果新規参入者は減り、旧来の火力等の電気事業者は市場寡占を維持できます。これにあわせて買い取り枠を拡大してもいたちごっこで、新エネルギーの発電量が増えるたびに押さえ込まれることになります。日本でも、買い取り枠が小さすぎ、いくつもの自然エネルギー導入計画が頓挫しています。しかも、緊急提言には補助金がどのくらいか全く明示されていません。自然エネルギーを導入しようにも目処が立たず、ハイリスク過ぎるという構造が作られているわけです。

対してFIT制は自然エネルギーの買取額が固定されていて、自然エネルギーの新規事業者や発電機器メーカーに競争原理が働かないように見えますが、価格が一定ならば発電のコストパフォーマンスへのインセンティブが働き、結局は競争原理が働きます。長期的にも一定額での買い取りが期待できるので、初期投資の目処が立ち一般市民を含めた新規参入のリスクは大きく抑えられます。ドイツでは、この固定価格買取を遂行するために電気料金への買取コストの転嫁をある程度認めることで、現在の電気料金は割高になっていますが、将来的に原油高が継続しても電気価格は連動しないで済むでしょうし、自然と規模の経済が働くようになれば、従来以上に安い電気価格に推移することも自然エネルギーの性質上充分にありうることでしょう。しかしながら今回の緊急提言の中身は「自然エネルギーの普及妨害のために電気料金を上乗せさせてください」という内容であり言語道断です。

しかし、こうした制度設計を通した実効性のあるエコ行動は、政治プロセスを通さなくてはならないためか、一般庶民がすぐにできるエコではないと見なされてか敬遠されているようです。しかし、パブリックコメントなり、ブログなりで怒りの声を上げなければ、旧来の電力会社に操られた経産省の手で必死の倹約の意味すらも消滅させられてしまうことでしょう。制度に対して怒りの声を上げないかぎり、ただ倹約しただけでは自分の髪を引き上げて空を飛ぼうとしているようなもので、崖を登攀するにはもう一段高いところに手がかり足がかりを探り出す必要があるのです。

原油高へのけん制効果を考えるならば、原油価格が下がる分だけ、値上げを既に実施した大中小の企業収益の改善が見込めます。ドイツにおけるQセルの急成長のような市場創出効果、雇用拡大効果なども見込めます。しかし、国民の見ていないところで官庁の役人ががわざわざそれを妨げているのですから、これは甚だ腹立たしいことです。腹立たしいことが陰で行われていることを知ること、腹立たしいことをムカつくと表明すること。それが、エコロジーに向かい合うための本当の第一歩です。

シンギュラリタリアンの端くれとしてこの問題を考えると、誰もが自分に必要なエネルギーを自分で賄えるようになることは、非常に大きな意味があります。この移行が行われれば、次は大きなタイムスパンでのコモディティ化の道が開かれているからです。しかし、日本で現状が続くならば、コモディティ化の前に新エネルギー事業者は干上がり、その可能性の芽さえ潰され、ドイツやインドでタダのような電気料金に移行しているころに、日本では原油高でいまの何倍の電気料金に追われているということになりかねません。それは、きっと遠い時代のことではないでしょう。現に、この緊急提言の直後から新エネルギー機器関連の買い控えが起こっているようです(東京新聞)。コモディティ化の条件は巨大市場で規模の経済が機能することです。そこまでの成長が見込めない産業の商品は、コモディティ化のプロセスをたどることはありません。緊急提言をとりまとめた新エネルギー部会はそのことを全く理解していないようです。

まずはFIT制で、各家庭に太陽電池や、小型風車、スターリングエンジン、あるいは天然ガス発電機を設置できるようにし、イオンの計画のように日本中電気自動車スタンドがある状態になれば、物流コストは緩和され、原油高の苦しみから解放される人は大勢いるはずです。それどころか、自然エネルギー投資の採算見通しが立つようになれば、村おこしのために道の駅や公共施設に無料の電気スタンドを設置する自治体や企業が出てきても全く不思議ではありません。電力会社を電線会社と発電企業に分断して、寡占状態から退けて、まっとうな市場競争を生み出すこと。そこから、WEBにおいて起こったような2.0状態もありうるかも知れません。例えば、屋根を貸してくれればタダで太陽電池を貸して上げましょう、そのかわり余剰電力は安く売ってくださいという企業が出現するかも知れません。それは、インターネットの無料サービスにビジネスモデルが似ています(現状で最も近いものでESCO事業があります)。そして、エネルギー2.0というかエネルギー民主化というかが実現されればこのステージはエネルギーのシンギュラリティのはじまりとなることでしょう。このステージの到来によって、ロボティクス爆発の条件が整うのです。

しかし、政治をあきらめて、目の前の倹約に必死になり、官庁のやりたい放題を放任しているかぎり、もはやそんな未来の可能性はありません。エコに必要なのは、倹約よりも制度設計であり、エネルギー生産の主導権を電力会社から奪い返すことなのです。

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コメント

はじめまして。
このブログは数ヶ月前に知ったのですが、
なかなか更新されないので、もう更新されないのかなと、心配してました。
私もシンギュラリティを信じて待望しています。
だから、一般の評論家やブロガーが20年後や30年後の話
をしてるとお笑い種としか思えません。
シンギュラリティを前提にした評論・考察が
聞けるブログは貴重です。
私自身も、浅学にしてあなたのような深い考察をブログに書くことができません。
ぜひあなたの文章をもっとたくさん読みたいので、
ブログの更新をこれからもがんばってください。

投稿: JTT | 2008年7月25日 (金) 00時44分

>JTTさん
過分なお褒めの言葉をいただいて、恐縮しています。私もただの素人に過ぎないので、あまり確実なことは何も言えていませんので、他の考え方も大切にしていただければ、助かります。このブログは、可能性としてのシンギュラリティがあるならば前向き穏やかに迎えたい、全くないのであれば、笑われるのは私だけで済めばいいと思っていますので、読んでいただいている方には、どちらかといえば内心で未来に対する寛容さを準備していただければ幸い、と思っています。疑心暗鬼になることをねらった嫌がらせコメントが続いたので、このブログも望まれていないのかな?と思っていたところでした。わたしも、梅田望夫氏の言うように、不特定多数を信じて、再開したいと思います。

投稿: 管理人 | 2008年7月25日 (金) 02時28分

このような昔のエントリにコメントするのは正直気が引けるのですが、ひとつ疑問に思ったのでコメントさせていただきます。

倹約することによって倹約した人への電力供給が低下すると、今電力需要が供給を上回っている人が余剰分を使い始める、といったように読めるのですが、実際のところどうなのでしょうか。
電力需要の低下はそのままとは言えないまでも電力生産の低下につながると思うのですが。

このブログは大変読みごたえがあって興味深いので、これからも更新がんばってください。

投稿: sapi | 2009年5月28日 (木) 20時53分

>sapiさん
コメント&応援ありがとうございます。こちらこそ、昔の記事にも関わらずコメントいただけてうれしいです。
ご質問については、こう考えています。まず、電力会社は夏場などに顕著なように、電力生産量には上限があります。そのときは、需要にもかかわらず、企業などに利用の自粛を要請しなくてなりません。このときは、倹約で節減された分は自粛要請先にすぐにまわすことになります。
ご指摘のとおりです。
おそらく、少しでも需要減にあわせて電力減産につながればそれはエコではないだろうかということがおっしゃりたいのではないかと思います。確かに、電力消費が少ない時期に消費されるであろう電力の見込みが少なくなるのであれば、電力会社も減産を行うかもしれません。
しかし、電力会社は電気をたくさん使ってもらいたいものだし、倹約を見込んで供給不足になるかもしれない調整をするのも困難です。
それでも、多少の排出量削減は可能だと思いますが、現在までの省エネの工夫で日本が排出量を逆に増やし、電源の切り替えの進んだヨーロッパでは15%ほどの削減を達成していることを考えてみると、やはり人的エネルギー投入の優先順位を考える必要があるのではないかと思うのです。

投稿: 管理人 | 2009年5月30日 (土) 09時09分

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